第四紀=人類紀の地質問題

「5・10 地質の日」にあたって、改めて「液状化P波原因説」(殿上理論)の支持・普及を訴える!                                                                                                                                                                       

 ~地質の日、5月10日は、明治9(1876)年に、米国人

 地質技師ライマンらによって日本で初めて広域的な地質

 図、200万分の1「日本蝦夷地質要略之図」が作成・完成

 された記念日です~


       2024年5月  代表 福永慈二


 「5・10 地質の日」にあたり、私たちは、改めて2024年度が「液状化P波原因説」(殿上義久氏の新理論)が国際的評価を得る記念すべき年になることを心から期待し、皆さんに支持・普及を訴えるものです。

 私たちは、「液状化P波原因説」を提唱する殿上氏は〝現代の開拓者〟であると考えています。現代の「S波液状化理論の世界」に新しい画期的な風景をもたらすものであり、地震対策のみならず、その他さまざまな分野に新しい画期的な方法論をもたらすであろうと確信するからです。

 (注;P波とは、地震時に最初に来る縦波、Praimary wave のP S波とは、後から来る横波、Scondary waveのSを意味します。)

 歴史の新しい地平を切り開く事業はまさに「開拓」そのものです。現在コラム欄に連載中の「北海道十勝野開拓の祖・依田勉三物語」にも明らかなとおり、「開拓者」は何度も何度も失敗を重ね、困難に繰り返し直面します。それでも決して諦めることなく、そうした困難を乗り越え、新世界を切り開いていくのです。殿上氏と「P波原因説」が歩んでいる道もまたしかりです。「5・10 地質の日」にあたり、あらためて、殿上理論の支持・普及を訴えるものです。


 さて、5月10日は我が国の「地質の日」となっていますが、これは、明治9(1876)年、明治政府がアメリカから招へいし、ケプロン調査団に加わった米国人地質技師・ライマンが、蝦夷地(北海道)を探査し、日本で初めて広域的な地質図、200万分の1「日本蝦夷地質要略之図」を作成・完成させた記念の日です。

 実は、私は、ライマンについては、当地質会社―ジオ・ステージ・フォー―発足前に、北海道開拓とケプロン調査団について調べたことがあり、かなり詳しく知っておりました。ただ、彼が「日本の地質の日」制定に関わっている人物であることは、当社発足後に初めて知った次第です。当社HPのコラム欄に、私の著作である開拓者物語『十勝の開拓の祖・依田勉三物語』を連載紹介していますが、ライマンを含むケプロン調査団については、依田勉三に北海道開拓を決意させた重要なファクターとして、作品の中でも繰り返し取り上げ、記述しています。

 ベンジャミン・スミス・ライマンは、1835年に米国マサチューセッツ州のノーサンプトンで出生。父親は判事、母親は名家の娘で、ハーバード大学を修了後、アメリカ鉄鉱協会の会長だった叔父の助手となり、鉱山調査に関わり、1859年にパリの鉱山学校、1861年にドイツのフライベルク鉱山学校(現在のフライベルク工科大学)に留学し、鉱山学を学んだ、優れた地質技師でした。1920年に故郷のマサチューセッツ州で死去しています。

 ライマンは、インドなどの石油調査を終えたのち、1873年(明治6年)、北海道開拓使次官黒田清隆に招かれて来日し、開拓使雇となり、ケプロン調査団の蝦夷地地質調査に参画しています。後に工部省の依頼で1876年から1879年の間、日本各地の石炭・石油・地質調査にあたっています。1881年(明治14年)に帰国するまで山内徳三郎、桑田知明はじめ、稲垣徹之進,坂市太郎,賀田貞一,杉浦譲三,前田精明,山際永吾,西山正吾,島田純一,安達仁造など、多くの有能な日本人地質技師を教育し、日本の地質学に多大な貢献をなしています。

 そして、ライマンは、明治9(1876)年5月10日、何人かの日本人助手と共に力を合わせ、北海道地質調査の成果として、日本で初めて、広域的な地質図、200万分の1の精密な「日本蝦夷地質要略之図」を作成・完成させたのです。

 またライマンは、1874年(明治7年)に、夕張川上流に石炭層の存在を発見し、夕張炭鉱生みの親としてもよく知られています。明治期においては、石炭は日本を近代工業国に発展させる重要な鉱物であり、まさに「黒いダイヤ」だったのです。当時の日本産業界のライマンに対する期待、厚遇、称賛は極めて大なるものがありました。

 青森県三戸郡田子町と秋田県鹿角市にある三戸鹿角街道の峠(標高 611m)は「来満峠」(らいまんとうげ)と名付けられています。語源として、この地方を調査したライマンに関連づける話があります。実際にライマンが記録した来満山のスケッチも残されています。しかし、来満峠の名はライマンの来日以前から記録されていて、彼以前に峠を越えた古川古松軒やマラン神父の記録があり、また石井忠行の『伊豆園茶話』では、語源はアイヌ語の「ライオマン」(戦があり人が多く死んだ土地)ではないか、と説かれています。おそらく、ライマン一行の訪問・調査を喜んだ当時の地元の人々が、ライマン所縁の峠として、後世に伝えたいと願い、話を作ったのでしょう。

 しかし、ライマンの蝦夷地調査において特に重視注目するべきは、「十勝原野」に関する優れた洞察でしょう。

 地質・鉱物資源調査担当のライマンは、石狩川上流を遡(さかのぼ)り、石狩岳東側の峠を越えてオトブチ河(音更川―オトフケ川)上流に達し、これを下って十勝原野に到達しています。そして、札内ブト(札内河と十勝河との合流地点)の河畔に立ったライマンは、そこで見た光景をこう記しています。

 『わがチームが通過してきた草原はほとんど広々と開けており、少なくも4万エーカー(約16000町歩)はあるだろう。…自分たちの食べる手持ちの野菜はほとんどなくなっていたが、しかし、近隣のアイヌ村より得た野菜でかなり満足することができた。アイヌの畑は十勝野の山林林野であり、ここで肉や野生の野菜を得て食物としている。ことに野ゆりの一種は…サツマイモの代用として最も好いものである。また、ごぼうその他2、3の良い野菜が野にある』と。

 アメリカはじめ世界各地の地質・土壌を調べ、見聞きしてきたライマンの目には、十勝野が農作に適した素晴らしい沃野であることが一目で分かったようです。

 ライマンの見解―その後の十勝野原野に関する科学的地質調査―は、松浦武四郎、静岡藩士白野夏雲の調査、札幌農業学校の卒業生内田瀞らの『復命書』(探査報告書)の内容と完全に一致していました。国際的に著名なライマン及びケプロン調査団が行ったこの時の調査と報告により、従来の日本人調査結果が、科学的学術的に裏付けられ、蝦夷地北海道に対する関心が一気に高められました。依田勉三に十勝野開拓の使命を抱かせ、決意させたのも、ケプロンレポートに記された助言の数々であり、ライマン一行の地質調査報告に他なりませんでした。この時、ライマンらケプロン調査団の手で初めて行なわれた科学的地質基礎調査が、その後の北海道開発開拓、北海道農業の開発発展の礎(いしずえ)となっていったのです。

  

 現代日本の地質学の発展は素晴らしいものがありますが、今やその調査研究の最大の課題となっているのは、地震に関する調査研究です。神戸大地震、東日本大地震、熊本地震、能登半島地震と、相次ぐ大地震の発生は、日本の地質学会に更なる発展、成長を求めています。私たちは、液状化研究会を組織し、殿上義久氏の画期的な地震液状化理論(現在国際的に権威あるロンドン学会誌に投稿中)である「P波原因説」を支持し、その評価・普及に努めていますが、こうした優れた研究成果がなかなか正当な評価が得られず、世に認められない現状を見る時、日本の地質・地震学会の更なる成長、発展は不可能であろうと思わざるえを得ません。「P波原因説」(殿上理論)の正当な評価、普及、地震対策への応用は、地震に悩み苦しんでいる日本国民の切なる願いでもありましょう。私たちも、地震対策事業の一翼を担うものとして、そうした多くの方々の願い、期待に応えるべく、更に研究開発に全エネルギーを注いでいくつもりです。5月10日・地質の日にあたっての私たちの決意です。 

【お知らせ】

 「天地人」欄には「科学者の言葉」を載せてきましたが、現在

「開拓者の物語」を載せています。困難な時代、激動する時

代を迎えつつある今、改めて過去の各分野で活躍した「開拓者」 

の生きざまから学ぶ必要を痛感します。


『コラムー天地人』の「開拓者物語」に、「北海道十勝野開拓の祖・依田勉三物語」を連載しています。ぜひご一読下さい。

また、2024年1月より、幕末維新の伊豆松崎が生んだ依田勉三の師である『土屋三余先生物語』を全文掲載しています。


 ●著作者

  北海道開拓史研究会(代表:福永慈二)

  松崎三聖人(土屋三余・依田佐二平・依田勉三)を顕彰する会

 ●発行者 

  三余塾 土屋直彦

  〒410ー3626  静岡県賀茂郡松崎町那賀73~1

  (『北海道十勝野開拓の祖・依田勉三物語』上・中・下巻の   

   購入希望者は三余塾・土屋さんへ。各巻1500円プラス送料

                   ✉ gbccq165@ybb.ne.jp



 

《殿上義久氏(東海大学海洋学部卒・音響地質学研究所)によって発表された『液状化P波原因説』》

◆『飽和砂の剪断に伴うP波の発見とP波による液状化の発見―液状化の本質的原因とは何か?~教育おもちゃエッキーによる定性実験とその考察(1)~』

◆『液状化地域と周辺部における大地震時の音と揺れに関する面接調査~地震計ではとらえきれない物事の探求~』


深所の土の正確な採取のために開発された小型の「地盤用サンプラー」

《矢嶋信幸氏の『揚げ船』論文紹介》

『天災を乗り切る《揚げ船》のしくみ~津波避難船計画~』



 質問のある方は下記へメールを。

   geo-s4@geo-stage-four.tokyo  

 



  〈前号を読みたい方はここをクリックしてください〉


  〈地質関連会社〉ジオ・フロント 

            ジオ・プロパティー

 

 

お知らせ 

◎毎月1日更新

◎トップページ:『第四紀=人類紀』

 情報 ページ:『天と地と人とー科学者の言葉・開拓者物語』